2016年3月11日金曜日

まちミューフットパスのススメ 04

まちミューフットパスのススメ 04
ガイドブックの話
ガイドブック第1号は前述した甲府商工会議所の事業で、湯村温泉郷の楽しみ方ガイドブックでした。太宰治が新婚時代を過ごした8ヶ月間、そのゆかりの地が 湯村温泉でもあったのです。実はぼくらが太宰治と甲府の関係をしっかりと知ったのはこのときでした。いまでこそみなさん、この事実をご存知だと思います が、いや待てよ、そうでもないかもしれないぞ(^O^) いずれにしろ、いままで縁もゆかりもないと思っていた太宰治が、昭和13年とか14年に甲府のまちに住んでいたという事実はけっこう刺激的でした。太宰が 住んでいた場所を特定したシルクハットの会のみなさんたちが、しっかりと太宰の足跡を追いかけ、太宰が新婚時代を過ごした辺りの当時の写真とか、毎日のよ うに通っていた喜久の湯とか、豆腐屋さん、酒屋さんなどの場所を特定していました。それらのを基にしてガイドブックを2種類作りました。
これがまちミューガイドブックの始まり。それから12年で27市町村に300種類をこえるガイドブックが生まれたわけですが、その話はもう少し後で。
36ページという基準もこのとき決まりました。なぜ36ページのガイドブックが必要なのか?(^O^)
ぼくらはまちミュー活動を始めるにあたって、始めるからには持続可能なスタイルを考えよう、そのためには助成金で始めるんじゃなくて自前で収入を得られる システムをつくらなきゃならない、そのためになにをしたらいいのか? いいお店は必ず売れる商品を持っています。そこでぼくらも売れるガイドブックをつくろう(^O^) 。
ぼくはこのころドームとランデブーという二つの、スポンサー付きの雑誌をつくっていました。実はそれ以外に、新宿でコンピュータの使い方を学ぶ会社を立ち 上げていた高校の後輩岡保眞くんがスポンサーになってくれた、LRという、現代美術の論争誌と、AWという美術品観察雑誌をつくっていました。雑誌が好き なんですねー。驚いたことにこのLRは相当数売れたんです。水戸芸術館で開催された ゼロ年展や、ジェンダー展などをめぐる論争を特集したのが功を奏して?東京の八重洲ブックセンターや西武系の書店、都現美やINAXギャラリーのショッ プ、銀座の画廊などに置いていただきました。手伝ってくれていた中山ゆかりさんと懸命に働きましたが、これだけ売れてもぼくらの報酬はほとんどなかった (^O^) 。なぜでしょう? 基本的に儲けはみんな印刷屋に移行していたのです。これでは印刷屋さんのために働いているようなものですよね。
そういう経験をしていたので、印刷機能を内製化しなきゃダメだ、ということでいろいろ考えて、印刷機➕丁合い機➕中綴じ機➕断裁機を購入。紙も90キロの 厚手の紙を使用し持ち歩きやすくし、訪問先エピソードは20くらい。本の厚さもそこそこ出る、36ページ。これを自前でつくれるようにしました。初代機は モノクロ印刷機でした。これを税別200円で売ろうというわけです。
しかし、メンバーたちには心配の方がさきにたち、モノクロだしオフセット印刷ではないから写真もきれいに刷れない、だいたいまち歩きの冊子が売れるんだろ うか? という空気が満ち満ちておりましたが、ぼくが投資するということでともかくスタートしたんです。やってみなくちゃわからない。






0 件のコメント:

コメントを投稿